さてここで「遊び」としてのスポーツに、今一度立ち返ってみよう。スポーツは「日常的現実世界の脈絡ないし枠組から切り離された」世界であり、「現実離脱の体験」を与えてくれる世界である。スポーツは現実世界もしくは日常生活と明確に区切られた「時・空間」の中で行われ、その中では現実世界・日常生活のルールは停止し、スポーツ独自のルールが人々の行動を支配する。
プレーヤーはそのスポーツ独自のルールに従うことを宣誓し、ゲームに参加する。プレーヤーがゲームに参加するにあたってルールを熟知していることは重要である。それはゲームの進行をスムーズにするだけではない。どのような行為が許されるかが知られており、加えて、違反行為とはどんなものであり、それにはどのような罰則が適用され、それによってどのような不利益を被ることになるかが理解されていることで、許される行為が促進される一方で、反則行為は心理的に規制され、その発生を未然に防ぐことができるからである。
加えてルール条項には明文化されていないルールをも遵守するという「フェアプレイ」の精神でプレイされることによって、スポーツは理想的な戦いの場になる。フェアプレイを含むスポーツ・アマチュアリズムの思想の根底にある「怒りなき戦い、悪意なき技量」はスポーツを行うときの精神的態度を指している。これはスポーツの場では、しばしば怒りの爆発があり、しかも故意の反則や確信犯的プレイがあることを前提にしながらも、その感情を抑えてプレイすることを価値あるものとしてプレイヤーに要請するものである。