粗野な言葉づかいと同様に指導者の「大声」に眉をひそめる人が多い。「大声」は感情の直接的な表現であって、人前での振る舞いとは認められないからだ。人前での「大声」は暴力的なものを連想させ、不快感を呼び起こす。それは現代社会ではむしろ忌み嫌われる行為である。
しかし、指導者は練習の中で子どもたちに「大声」を張り上げることを強制することがある。そうすれば子どもたちが活気づくことを経験的に知っているからである。実際、「大声」を出すと急に元気が出てくることがある。ひょっとして人がカラオケに夢中になるのもそのためなのかも知れない。
「大声」は理性的なものを取り払い、「性格の鎧」を打ち砕く。普段は理性によって意識的に抑えられている感情が「大声」を出すことによって外に現れ出てくる。意図的な「大声」が合図になる。「大声」を出すと、漠としたモヤモヤ気分から解放され、体の底からエネルギーが一気に吹き出してくるように感じるのだ。
しかし、傍らにいる人にはあまり歓迎されない。「大声」は動物的で生来的なもので、教育を受けた素養のある人の行為ではなく、少なくとも日常では「普通でないもの」と考えられている。そうでありながら、指導者があえて「大声」を張り上げることを要求するのは、それが「性格の鎧」を打ち破り、生のエネルギーを噴出させ、元来持っているヤル気を呼び覚まし、元気を回復させてくれるからである。