しかし、ただ見せればすべてうまくいくというわけでもない。見ればわかるはずだと考えるのは指導者側の勝手な思いこみのことが多い。どこに注目すべきかを明確に指摘してやることが大切である。目には映っていても気づかないことはよくある。あるいは視線を向けていてもそこに意味を感じ取れないこともある。
胸部のレントゲン写真の小さな影に結核の予兆を指摘できるのは、医学部に入り立ての学生には難しい。指導を受けることによって、初めてその影の意味を知り、そして解剖や手術の助手などを経験することによって実際の患部とその影とのつながりがはっきりとわかり、その影を真の意味で深く理解することができる。
見ていながら気づかなかったり、わからなかったりすることはよくあることなので、指導者は単に見せることだけで指導を終えてはならない。どこがポイントか、明確に指摘してやることだ。
スポーツ指導者の中には子どもたちが自らの力で解決することが大切であると考え、「気づき」を促すことが役目であって、その後のことは子ども任せにするのが良いと考えている人もいる。ドングリはいずれ樫の木になるのだから、育つ力に任せるのが良いと考えるのである。
そうした指導も必要なときがあることを否定するわけではないが、しかしやはり明確な指摘をしてやることが必要だと思う。「気づき」がないとなかなかその技術を身につけられず、それゆえにそれを踏み台にしてさらに新たな技術を身につけるという機会を失い、成長が望めなくなるからだ。