また、丁寧なことば遣いでは指導者の思いのたけを伝えきれないのかもしれない。情緒的なものが体の動きに影響を及ぼすところでは、冗長な「精密コード」に即したことばによる説明よりも、手短な、感情に訴えかけることばに力がある。裏返しになるが、新しく入部してきた子どもが指導者の使うことばの真意をなかなか捉えられないことがあるのはこのためでもある。
指導を受ける子どもたちも、指導者の「精密コード」に則ったことばには本気になって耳を傾けることが難しいときがある。スポーツの指導の場は「我々感情」が支配しており、「限定コード」に即したことば遣いの方が相応しい。「精密コード」は他人行儀に聞こえ、「我々意識」を喚起しない。むしろ理性や知性よりも感情に訴えかけることばの方が適している。丁寧な、正確なことばでなくとも、そのことばには隠されたそれ以上の意味が込められていることをお互いに了解しているからだ。
指導現場のことば遣いが、指導者に対する思わぬ評価の対象になったり、またそのことば遣いが日常生活の中にも持ち込まれることで、結果として指導者は実体とは異なる低い評価を受けることにもなりかねない。プレーヤーに限らず、指導者も時宜に応じたことばの使い分けを心しておかなければならないようである。