最終更新日
Thu, Mar 13, 2008
「指導に使われることば」

2)精密コードと限定コード
 バジル・バーンスティン(教育社会学者/英国)に倣えば、我々が通常使うことば遣いは公式言語であり、「精密コード」に則ったものである。そしてそれに対して親密な間柄の者同士では「限定コード」に即した話し方になる。家庭内や友人関係の間ではこれがふつうである。

 「限定コード」は、小集団の「我々意識」を基盤にしたことば遣いである。その中では余計な説明は必要とされないので、どうしてもことば数は少なくなり、単純化される。こうしたことば遣いをすることは飾らない人間関係を強調し、その意図を表出するものでもある。

 もしそうした間柄にありながら、「精密コード」に則った話し方をすれば、それは公式の場であることを表明するもので、私的な事情や話題は慎まなければならない。すなわち「精密コード」に則って話すということは、そこはもう私的な領域ではなく公的な領域にあることを宣言するものなのだ。

 こうした公式の場では、感情的なことば遣いは許されない。理性的な話し合いが求められる、ということに共通理解があり、そこから外れることはルール違反とみなされる。荒々しい粗野なことば、語気の強いことば遣いは、通常のことば遣いとは受け取られない。少なくとも見知らぬ者同士のことばとして使われることはない。もしそうしたときに使われるとすれば、マナーやエチケットを欠いた行動で、敵意が隠されていると感じられ、相手は身構えてしまうはずである。

参考文献:「言語社会化論」バジル・バーンスティン著 萩原元昭訳 明治図書1981年