スポーツは心技体の3つの側面から構成される。そこでは心が体と技を支配していると考えたい。具体的には、「やる気(心)」が「人(体)」をコートに向かわせ、と同時に心の領域に含まれる意欲や知識やセンスがコートの中での「プレイ(技)」を左右する、と。
やる気がスポーツ活動を支え、やる気を生み出す「おもしろさ」や「楽しさ」と言ったものが人をスポーツ行動に駆り立てる。もしやる気が削がれれば、どんなに素晴らしい体格・体力や技能を持っていたとしても、それが発揮されることはない。プレイしようとしないからだ。やる気の形成、すなわち楽しさの体感こそ子どもの指導の根底にあり、それこそ生涯スポーツの礎である。
もともと弟子が真似しようとしている師匠の芸は至上のものであるので問題はない。ところで子どもたちが真似したいと思うのは、たとえばプロ選手が見せるトリッキーな技術であったり、ひとつのゲームの中で1回あるかないかの人をびっくりさせる技術であり、指導者は眉をひそめることが多い。子どもたちにはできるだけ良い技術を身につけて欲しいと願い、どんな場面でも、どんな相手にも通用し、加えて将来にも役立つものを身につけて欲しいと指導者は願う。それは端的に「基本技能」である。
子どもが真似したい技術とは、簡単に言えば「格好良い」技術であり、それに対して指導者が望むそれは「基本技能」であることから、当然そこにギャップが生じる。そこでもし指導者が、深い思慮のもとに真似すべき対象を提示しないときには、子どもたちはそれを押しつけと感じ、自らの力で克服しようとする努力を止めてしまうことがある。とりあえず指導者の言いなりにしておこうという態度である。そうすると、その学習は消極的なものとなり、子どもたちは単に「なぞり」の学習をするだけになってしまう。
習字を例にとれば、文字の形をなぞるだけで、どこで筆圧を強くすれば良いのか、いつ筆の運びを止め、勢いを持たせると良いのか、などに心を配ることなく、筆を動かすのだ。学習することの大切さは理解しているものの、やる気が失せてしまっているので、気づこうとする努力や試行錯誤という工夫がなされない。指導者が提示した課題(この場合、基本技能)に問題があるわけではない。その提示の仕方が問題なのである。子どものやる気を考慮しながら、課題を設定すること、できれば子どもたち自らが課題を見つけ出すようにし向けること、こうした努力を払うべきである。