最終更新日
Thu, Mar 13, 2008
「真似(まね)から学ぶ」 目による理解
1)見せること、そしてことばによる再構成 2)目からの情報

1)見せること、そしてことばによる再構成
 初心者が技術を身につけようとするとき、上手な人のそれを真似しようとする。

 これは日本舞踊のお師匠さんに弟子入りした娘さんのことを考えてみればすぐに理解できる。その娘さんはお師匠さんの踊りを身につけることを目標に日々稽古に励むはずである。

 身につけようとしているのはお師匠さんが見せてくれるその踊る姿である。稽古はそれに似せることから始まる。お師匠さんはことばでは説明しない。ことばで説明しても理解できないことを知っているからだ。

 踊る姿も見せずに子細にわたってことばで説明し、理解させようとすることほど愚かなことはないとわかっている。そもそもまったく目にしたことのない身体技能を文字の上で、あるいはことばの上で説明することなどできるはずがない。

 一方、受け手がことばによる説明を理解するには、頭の中で論理的な再構成を行う必要がある。自分のことばに置き換えるという作業である。難解な書物とは、たとえばスワヒリ語のようにそのことば自体を知らないという類のものではなく、自分のことばに置き換えて再構成して理解するのが難しい書物のことである。だから悪戦苦闘しながら読まなければならない。

 耳から入ることばも、同様の再構成という過程を踏んで理解される。ところで、もしその身体技能が初めて経験されるものであれば、ことばで説明されたそれをどうやって頭の中で構成し、把握することができるだろうか。受け手は混乱するだけで、おぼろげな姿さえ頭の中に描き出せないだろう。しかし見せてくれればたちどころに理解できるのが身体技能である、と言える。