1970年静岡県生まれ。浜松開誠館高等学校男子バスケットボール部監督。筑波大学大学院修士課程修了。雄踏小、雄踏中、興誠高を経て日本体育大学卒。高校時代、予選大会で1試合50点以上をあげるなど、シューターとしてならした。日本体育大学でもレギュラーに入り、試合平均30点と言われるほどの神業的なシュートで強烈な印象を残した。93年三菱電機入社。ルーキーイヤーからスタメンとして活躍したが、2年目からは契約選手を志願した。96年日本鋼管に移籍し、98年にはアイシン精機へ。2部との入れ替え戦の常連チームだったアイシンが優勝を争うチームへと発展する原動力となった。年齢を重ねるとともに学生時代の神業的なシューターイメージは影を潜めたが、要所で得点やアシストに絡むプレースタイルへと変貌を遂げた。JBLでは2度のMVP(2002,2003)、フリースロー賞(1993,2004)、ベスト5は5度(1995,2000,2001,2002,2003,2004)受賞。2005年に現役を引退。財団法人日本オリンピック委員会専任コーチングディレクター、財団法人日本オリンピック委員会専任コーチングディレクター、財団法人日本バスケットボール協会ジュニア専任コーチ等を歴任する。